輝かしい日本のオートレースの歴史
最近では、インターネットでも車券を買えるようになり、レース場にわざわざ足を運ばないという方も増えてきましたが、やはりオートレースの醍醐味は、爆音なり響くバンクなのではないでしょうか。
ご存じのとおり、オートレースは、日本の公営競技の一つで、日本の戦後復興と共に歩みを続けてきました。
日本で初めて、オートレースが開催されたのは、現在でも地方競馬場として知られる、千葉県の船橋競馬場でした。
まさか競馬場で、と思われる方もいらっしゃるようですが、当時はこの競馬場のダートコースで、レースが開催されたのです。
今回は、そんなオートレースで、華々しく活躍した往年の名選手たちをご紹介していきます。
オートレーサー・広瀬登喜夫選手
知る人ぞ知る、元SMAP森且行の師匠として知られる人物が、この広瀬登喜夫氏です。
往年のオートレースファンであれば、誰しも知る広瀬登喜夫ですが、当時は「オートの神様」とまであがめられていました。
デビューしたのは、1956年のことで、当時から無類の強さを誇っていました。
今では、レースのハンデとして、最長110mとなっていますが、なんとこの広瀬登喜夫は、ハンデの差340mをものともせず、圧勝して優勝を飾った逸話がよく知られています。
とにかくレースに無類の強さを誇り、名選手として筆頭に挙げられますが、八百長事件の疑いをかけられてしまい、5年間の選手生命を失ってしまいます。
その後疑いは晴れましたが、この5年間がなければ、さらなる記録を達成したことは間違いないでしょう。
オートレーサー・飯塚将光選手
日本の公営競技の中でも、あまり人気の出なかったオートレースですが、一躍オートレースの世界を広めた功労者といえば、飯塚将光選手が真っ先に上がります。
同選手は、「ミスターオート」として、伝説的なレジェンドとして活躍しました。
その経歴は華々しく、現在でもSGの最高峰レースとして知られる日本選手権で、なんと6回も優勝している強者です。
さらに、このレースで、13年連続優勝戦に出場した記録は、未だに破られていないというから恐れ入る。
活躍時期は、1971年から船橋オートレースで、引退した2013年までの43年間で、残念ながらその後病に侵され、引退の翌年に亡くなることになります。
オートレーサー・高橋貢選手
オートレースの名選手が、ことごとく若い頃から結果を出しているのに対し、高橋貢選手の初SGI制覇は、39歳になってからででした。
ところが、ここから怒とうの勢いで、同一SG5連覇を飾るのだから、なんともはやさすがというほかしかありません。
このように、高橋貢選手は、超遅咲きのレーサーと呼ばれ、特に冬に強かったことから「冬将軍」の異名を持った名選手でした。
その後、49歳1ヶ月でSGを制するなど、史上最年長記録を打ち立てましたが、2002年にはついに引退。
後継者の育成などに、力を注いでほしかったのですが、残念ながら病には勝てず、2007年に食道がんによって亡くなってしまいました。